【善光寺七清水巡り 2024.12.18(水)】

 今年10月『こわ清水』にて
「長野市って湧き水何かあったっけ?」⇒「といえば、善光寺七清水があるじゃないですか。」
とお教えいただき、寒い中で短い距離をと、この時期に巡回してみました。
※情報提供いただきました原田様ありがとうございました。

距離  12.45 km
平均気温 2.0 °C
高度上昇 251.0 m
経過時間 1:00:52(休憩含む)
消費カロリー 377 C
  

 



 <ライド内容>

七清水は以下の通り。

・鳴子清水(なるこしみず) 

・夏目清水(なつめしみず) 

・瓜割清水(うりわりしみず)

・柳清水(やなぎしみず)

・一盃清水(いっぱいしみず)

・箱清水(はこしみず) 

・傾城清水(けいせいしみず)

まとめていて気付いたことが。傾城清水に寄るのをすっかり忘れました。😅
いずれまた巡回しに行きます。💦


巡った順番にご紹介します。
この順番だと劇坂区間がべらぼうにきつかったので、逆回り推奨です。(苦笑)


●はじめに


まずは腹ごしらえということで、ひまわり公園隣の『喫茶 メロン』。
(スタート予定の鳴子清水近く。

昔ながらの喫茶店という感じで前々から気になっており、ようやく訪問!


初訪問ということでメロン定食をチョイス。
有頭エビフライ!おかずも盛りだくさんでおいしゅうございました♪
今度はナポリタンあたり食べてみたいと思います。




①鳴子清水(なるこしみず) 

-----解説-----

鳴古池とも書く。諏訪町にある。菅江真澄が1784年(天明4年)に『來目路乃橋』において鳴子清水の清さを詩に詠み称えている。
1878年(明治11年)発行の『開明長野町新図』に東西に隣接して三つの清水を合わせて鳴子清水と記されていることから、周辺の清水の総称だったと考えられる。
三つの清水の真ん中は御女郎池と呼ばれていた。昭和初期には二つに減じていることが確認できる。[13]
近隣の銭湯、亀の湯が現在地へ移転した際に清水を建物内へ取り込み、湯として使用しているため現存しない。現在鳴子大明神西側にあるものは元個人の井戸である。

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先ほどお食事したメロンさんからすぐ近く。目印は亀の湯のすぐ近く。
解説にある通り、亀の湯に清水が取り込まれているとのこと!




安全のために水場は塞がれていました。
寂しいですが、安全を期してほとんどの場所にこのような処置をされていました。




②夏目清水(なつめしみず) 

-----解説-----

九重清水(ここのえしみず)、光明水(こうみょうすい)ともいう。
『善光寺名所図会』には新田町と記述があるが、現在は西長野の西光寺の入り口右側にあるものを指す。
当寺を開基した僧、叡錬が地面を掘ったところ湧き出たと伝わる。

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長野西高校へ向かう道から左のほうへ入っていき、プチヒルクライム。

場所は『西光寺』。こちらもトタンで塞がれており現物は確認できませんでした。



西光寺の様子。



③瓜割清水(うりわりしみず) 

-----解説-----

瓜破清水、有利割清水とも。新諏訪町の戸隠古道沿いと、同じく新諏訪町の諏訪神社の境内にある。
元は後者の諏訪神社にあったが、1847年(弘化4年)の善光寺地震により閉塞し、前者は新しく掘り当てたもの。
現在後者のものは昭和後期に新しく掘り当てたもの。
名の由来は、瓜が割れるほどに冷たいことからと伝わる。
1879年(明治12年)に長野県庁舎が焼失した際の誘致陳情書には飲用水、防火用水に前者の瓜割清水を使いたいとあり、豊富な水量を誇っていたことがうかがえる。[15]

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先ほどの夏目清水から鬼無里方面へ進んだ先から、こちらもプチヒルクライム。




以前別の記事でも取り上げましたが、こちらは清水が流れており、補給ポイントにも活用できます。ここの水、おいしいですよ♪




④柳清水(やなぎしみず)


-----解説-----

 矢無清水とも書く。『善光寺御堂再建記』には新田町、『善光寺道名所図会』には三輪町、『善光寺名所図会』には田町の会津屋醤油屋南の小路、三輪田町の染物屋の敷地内、また一説には往生寺の裏手ともいい、所在が定まっていないが、現在は一般的に往生寺裏手のものを指す。
往生寺裏手にある柳清水は鏡池(前述)と同一視されることもある。

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場所は『往生寺』。

瓜割清水 ⇒ 往生寺 だと具合悪くなるくらいの超劇坂区間のため、逆回りが良さそうです。(苦笑)




往生寺に続く激坂っぷりがこちら。おそらく15%はあったんじゃないかと・・・!😂


お寺の中へお邪魔します。


の前に、柳清水の案内看板。




ここらへんから猛烈な雪!😂


めっちゃ急な階段を登ります。見返すとこええ・・・十分に注意しながら登ります。😓


登った先の様子。


往生寺からの景色は見晴らしが良く、絶景でした♪



⑤一盃清水(いっぱいしみず)


-----解説-----

 盃清水とも書く。花岡平の謙信物見の岩の下、岩井堂の前にあったが現在は枯れている。
付近の不動明王の石仏のあたりという。
現在花岡平の霊山寺の本堂前にあるものとは別のものである。
弘法大師が修行中、杖で地面をつくと、清水が湧き出、硯の水に用いたという。
上杉謙信布陣の際には飲み水に使われたといい、「上杉謙信の御膳水」の異名がある。[14]

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場所は『霊山寺』。往生寺からだとバードラインへ入る道の横を通る感じ。

とても立派なお寺でした。





こちらの景色も絶景♪(天気のせいで真っ白ですが。😅)


一盃清水は入ってすぐにありました。


水は流れはいますが飲用不可とのこと。



更に奥へ進むとお墓がたくさんありました。

そんな中、『川中島合戦 戦死者の首塚』。


どうやらこの辺りでたくさんの首だけの白骨化石が発掘されたようで・・・川中島合戦の惨状を改めて認識しました。


こちらが首塚。


しっかりお参りしておきました。🙏


一番上のほうまで歩くと、何やら山道へ入るっぽい?また改めて散策してみたいかも。



⑥箱清水(はこしみず)


-----解説-----

 箱池(はこいけ)とも。箱清水にあり、当地の地名の由来になった。

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霊山寺から下り、善光寺のすぐ近くになります。
うっかりしており、ここが最後の訪問となります。😅


完全にトタンで塞がれてしまっていました。


看板を読むにとても活用され活気があふれていたそうです。



奉公に入った小僧さんが最初の仕事がここでの水汲み、だったそうです。なるほど。


箱池の文字。大正4年に上水道ができてから、ここ箱池の役割を終えたそうです。


⑦傾城清水(けいせいしみず)


-----解説-----

 『地震後世俗語之種』にのみ景清清水とある。
上松5丁目、昌禅寺の北東に道に面して存在する。
昔、遊女(=傾城)が善光寺参拝の帰路、疲れをこの清水で癒し、そのまま亡くなったことにちなむと伝わる。

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はい、失念しておりすっ飛ばしてしまいました。😖💦
言い訳すると、雪も降ってて寒くて全部まわった気になって、早くおうちに帰りたかった、となります。😂

場所はループ橋セブンイレブンの上あたりなので、場所はばっちり把握しましたのでいずれまた・・・!


<総評>


 改めて巡回してみました『善光寺 七清水』。

今回まわったルート 鳴子清水 ~ 柳清水 ~ 箱清水 だと大変険しいため逆を強く勧めます。(特に柳清水のある往生寺は歩いたほうが楽じゃないか?レベルなので要注意。💦)

改めて七清水というものを学び、善光寺近辺はかなり水が豊富で賑わっていたんだな、と感慨深いものがありました。

今でこそ水道が引かれて便利になってはいますが、なかったときにこれらの清水は本当に重宝されていたのだな、と。

一盃清水の霊山寺にあった川中島合戦の首塚も改めて合戦がいかに凄惨だったのかを再認識させられました。


清水巡りでいろいろと学ばせていただきました。

七清水は『善光寺七名所』の一部にすぎないようで、七寺(七院)、七社(七宮、七林)、七池、七小路、七橋、七塚と、まだまだたくさんあるようなのでいずれまた巡ってみたいかな、と思います。



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